私は先週、ブリュッセルで行われた日本語のスピーチコンテストに参加して、「ベルギー・日本友好150周年」のために歴史的なスピーチを発表する機会をいただきました。すると、参加者の他者が非常に高いレベルにあったし、質疑応答もやや恥ずかしくなっても、何とか第三位に入賞しました。このブログのエントリーは私が書いたスピーチの原稿です。
スピーチ
会場にお集まりの皆様、こんにちは!ルーバン大学日本学科3年生のスティービーと申します。私は子供の頃から日本の文化と歴史に大変興味がありました。そして日本学科に入学して2年間勉強をすることで自分の知識をもっと広め、深めることができました。更に、来年日本へ留学する可能性があることや、今年が「ベルギー・日本友好150周年」の年であることから、日本の歴史だけでなく、特に独立前のベルギーと日本の400年も前に遡る両国が共有している歴史への関心も高まってきました。そのため、この発表「我々の国民の共有している歴史」では、二つの歴史的逸話を紹介して、ベルギー人と日本人の友好についてお話したいと思います。
この共有されている歴史、すなわち、両国間の共感は、私たちの国の歴史的展開がほぼ同じように進んだからだと考えます。ベルギーも日本も強大な国々が隣接していたにもかかわらず独立することができました。ベルギーがフランスやドイツの大国に挟まれながらも何とか独立したのと同様に、日本も中国やロシア、欧米の中で、独立国として次第に世界で最大の経済大国の一つになりました。そのため、明治時代に岩倉使節団が派遣された際、「日本人と同じような独立の気概を持っているベルギー王国をモデルとしてはどうか」という記事を書いた日本人記者もいました。また、第一次世界大戦中にドイツ帝国の攻撃を受けたベルギーは「意志が強い、勇敢な国である」と日本で報道されました。
織田信長とアルベール一世
当日のベルギー王アルベール一世がフランスの国境近くにある村から抵抗をし続けていた間、東京と大阪の朝日新聞が協力して、ベルギーを支援するために募金キャンペーンを行いました。更に、ベルギーの国民を励ますために、ベルギーの国王の誕生日に刀を献上する企画も立てました。そのため、朝日新聞記者の杉村廣太郎がベルギーに派遣されました。1914年に彼がイギリスを経由した際に、そこで苦しむベルギー避難民を目撃し、戦争の深刻な状況について朝日新聞に報告しました。戦争の影響による難しい旅路を経て、やっとのことでベルギーの亡命政府にたどり着き、国王に謁見する機会を得ました。彼は、朝日新聞の社長が書いた国交の手紙を渡した後、国王に戦国時代の織田信長が用いていたという刀を献上しました。その象徴的な行為がベルギーだけではなく、世界中の報道機関によく受け入れられたのはいうまでもありません。その結果、ベルギーの国民も日本人に対して非常に友好的な印象を持つようになりました。
関東大震災
1923年の関東大震災が起こった時、ベルギー人がためらわず、救援活動を行ったり資金集めをしたりしたのは、この友好的な日本との関係のためだと言えます。王族と、新たに設立されたベルギー国内委員会が協力して大規模な救援活動を実施しました。私の故郷アントワープを含むベルギーの全国各地でも教会と戦争の退役軍人が協力して「Japan Day」という催しを行いました。他にも、ベルギー人の芸術家達が作品を集めたり新作を発表したりして特別な貢献をしました。まずはブリュッセルで、次に日本で作品の展示発売や展覧会を開催し、売り上げや入場料の利益は全て救援活動のために寄付されました。日本の展覧会だけでも3万5千人もの観客が訪れたと報告されていて、その上、日本の皇太子様と皇后様が30点もの芸術品をご購入されたと聞いております。
もちろん、多くの国が日本への支援に参加しましたが、ベルギーより多くの資金を集めたのは大国のイギリスとアメリカだけでした。それはベルギー人と日本人の相互の友好関係と共感の証しだと思います。私は、日本学科で学ぶベルギー人の学生として、我々の両国がこの豊かな道を共に歩き続けられるように心から願っています。
以上です。ご清聴ありがとうございました。
参考文献
- Japan & Belgium: An Itinerary of Mutual Inspiration, ed. W.F. Vande Walle, pp. 187-213. Tielt: Lannoo, 2016.
- Japan & Belgium: Four Centuries of Exchange. Brussels: Commissioners-General of the Belgian Government at the Universal Exposition of Aichi 2005, Japan.